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4話連続で更新しております。ご注意ください。
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25:心臓


出来上がった薬をもって、ミネさんの部屋へ向かった。
扉をノックし、急いで室内へ入ろうと思っていたが、ふと部屋の中から声がして、それをやめた。

ノーゴンさんとミネさんが何か会話をしている。
僕は思わず、それを聞いてしまったのだ。


「……きっと、あと2週間程の命よ。核は私の心の臓に到達し、私は銀河病に飲み込まれるわ」

「ミネ様、そんな事おっしゃらないでください。あなたが死んでしまったら、私はどうしたら良いのですか」

「……人は魔獣より、ずっと早く死ぬわ。遅かれ早かれ、あなたに看取られる事になるもの。むしろ、こんなに穏やかな場所で、あなたとゆっくり過ごす事が出来て、幸せな最後だと思うわ」

ふふっと、ミネさんの笑う声が聞こえた。
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ないが、娘らしい声で、きっとこういう表情なのだろうと想像する事が出来た。

「ノーゴン、あなたには随分面倒を見てもらったわね。もし、私が死んでしまったら、あなた、私を食べてくれる……?」

「……な、何を」

「前にスペリウスが、死んだ女の子を食べたと言っていたでしょう? その子の記憶を、受け継いでいるって。ノーゴン、あなたは……」

「だ、ダメです。そんな事は出来ません!!」

「……無理にとは言わないけれど。銀河病に冒された身だし……」

「それは関係ありません。そうではありません!!」

「でも、あなたは私の次に、誰か別の主を見つけなければならないわ。ベルル様を、側でお守り出来る様な……グラシス様はまだ魔力に余裕があるかしら」

「やめてください!! 私はフクロウです。フクロウは一途なのです」

「……そうなの? そんな話聞いた事が無いけれど」

「それに、スペリウスやローク様ならまだしも、私はフクロウです。フクロウは人を食べたりしません!!」

「……そうなの? あなた猛禽類じゃない」


扉の外で、失礼ながら聞き耳を立てて聞いていた。
途中妙なムードになり、ここでいちゃいちゃ展開になればよけいに部屋に入りづらいぞと思っていたが、段々と変な方向へ逸れていったぞ。

本当に、ミネさんとノーゴンさんは良く分からない関係だな……

「失礼します」

なんかもう良いかなと思って、部屋へ入った。
この二人の心配や憂いを、取り除く事が、一番だろうから。

ミネさんとノーゴンさんはハッとして僕の様子を伺う。こんな朝方に何事だろうと。
僕は彼らの前に、薬包紙に載せた金の粒の薬を見せ、真面目な表情で頷いた。




大魔獣たちが皆部屋に集まり、様子を見守る。
ミネさんはその白金色の粒を口の中に含み、水で飲み込んだ。

この魔法薬の効果はすぐに出てくる。
飲んだ先から、術式が体中を巡り、体のほとんどを覆っていた星雲は、まさに曇りの空が晴れて行く様に徐々にちぎれ、薄くなり、消えていく。晴れていないと星は見えなのに、この星雲と言う名の痣を曇り空の様だと不思議に思ったものだ。

ベルルが胸元に手を当て、ゴクリを息を呑んだ。
僕は彼女の肩を抱き、自分自身に言い聞かせる。きっと、大丈夫だと。自分の薬を信じろ、と。

僕の血が、薬に命令した。
頼む、浮かばれてくれ。呪いよ、解かれてくれ……


「……」


星雲はますます、ジワジワと薄くなり、いよいよ核だけが目立つ様になった。星雲の中を漂い、心臓を目指していた核は、背中を斜めに横切って、今首筋に到達していた。そのまま降下して、心臓に辿り着くつもりだったんだろう。

「……っ」

ミネさんの表情が歪む。核が、最後の抵抗を見せる様に、ブルブルと震え、暴れる。

「ミネ様、頑張ってください!!」

ノーゴンさんが彼女の手を握り、励ます。
その声に答える様に、ミネさんもぎゅっと手を握り返していた。

消えろ、消えろ!!
僕は側で念じた。それに意味は無かったのかもしれないが、とにかく、胸元の立方庭(キュービック・ガーデン)を握りしめ、願った。
ベルルも祈る様にして、見守っている。

黒い瞳の様なおぞましい核は、しばらく暴れた後次第に動きを弱めていって、ゆっくりと、縮んだり膨らんだりする。その様は、まるで心臓の動きが、徐々に弱くなっていく様子に似ている。
ああ、きっとあれが、呪いの本体なのだ……

その動きが完全に止まったかと思ったら、それはジュワッと音を立て、消えた。
解呪の音だ。

まるで、そんな病気など無かったんだと言う様に、ミネさんの体は元通りになった。見えている部分に関してだが、きっと全身同じだろう。

「……」

「……あ……」

やはり、誰もがなかなか声を出せずに居た。
しばらくじっと待ってみても、変わり無くミネさんの体は元通りで、特にこれ以上何かが起こる様子も無く。

治ったのか……
僕は、銀河病の特効薬を、完成させたのか……?

自問自答を繰り返し、目の前の現象が、なかなか信じられずに居る。
ベルルも、口を震わせ、僕の傍らで言葉を出せずに居た。


「……」


しかし、ミネさんの表情を見て、ハッとさせられる。
彼女は泣いていた。
まるで、今までの彼女からは想像もできない程、ぼろぼろと子供の様に。泣きながら、自分の腕を見て、ノーゴンを見る。

「……う……うう……ノーゴン……っ、私……」

「ミ、ミネ様……っ」

「わ、わたし……」

ミネさんは思いきり、ノーゴンさんに抱きついて、大声を上げて泣き出した。先ほど、扉の外で聞いた、淡白なミネさんの言葉からは、想像もつかない程、感情を露にした様子だ。
ノーゴンさんもそんなミネさんを見て、感極まった様子で彼女の背を強く抱いている。
当然だ。まだ若い娘だ。死の病が恐ろしくなかった訳が無い。
苦しくなかった訳が無いじゃないか。

「ノーゴン、痛くないの。全然……苦しくないのよ……私……っ」

「ええ、ええ。ミネ様、お体がすっかり、元のお美しい様子に戻っています。治ったのです、銀河病は、消えてなくなったのです!!」

二人の喜ぶ様子を見て、僕はやっと、確信した。
ああ、成功したんだ。僕は、作ったんだ。銀河病の特効薬を……!

「だ、だんなさまあ……」

ベルルが僕の脇の服を掴んで、瞳を潤ませていた。
無性に彼女が愛おしくなり、考えるより先に彼女を抱き締めた。

「ベルル……ベルル、僕は、やっと……」

「ええ。ええ、そうよ旦那様。おミネちゃん、元気になったのよ。旦那様のお薬が、救ったの。凄いわ……凄いわ旦那様!!」

じわりと、目元が熱くなる。ベルルの一言一言が、僕に改めて確信を与えてくれた。
ああ、やりきったんだと思うと、体の力が抜けていく。

僕はベルルを抱き締めたまま、その場で膝を崩した。

「だ、旦那様……!?」

「おい小僧、大丈夫か」

僕を心配する声がちらほら聞こえた。
安心と、重圧からの解放、そして何より、達成感。それらのせいで、僕はすっかり体の力が抜けてしまったのだ。これはしばらく立てまい。
良い歳して情けないが、ただ一人を目の前で救う事が出来て、これでもかなりホッとしているのだ。

「……」

ふわりと、頭を撫でる感触。
顔を上げると、ディカが、しゃがんだ僕の頭をその小さな手で撫でていた。

「……いい子……おとうさん、いい子ね」

「……ディカ」

ディカがまた、小さく微笑んだ。
その一言の中に、大魔獣としての威厳と、幼子としてのディカの、双方の姿を見る事ができる。
僕は大魔獣ディカ・アウラム様に褒められ、そして、ディカに父と呼ばれているのだ。

何とも不思議な心地で、それだけが、とても光栄だった。






「グラシス様、本当にありがとうございました。このご恩は、一生忘れません」

ミネさんは何度も僕に礼を言った。
ノーゴンさんも涙ながら僕に頭を下げた。

僕はそんなに偉い事をした訳ではないんだろう。ただ一人の魔術師として、研究をして、薬を作ったのだ。
だけど、この薬が、今後沢山の人を救う可能性がある事も、勿論知っている。

大魔獣たちは屋敷中に響き渡る歓喜の声を上げたものだ。
僕自身、ミネさんが銀河病にかかった姿を見て、その病と直接関わる事になったが、ここにいる大魔獣たちは銀河病がもたらした魔界の現状を知っている。彼らがかかる病では無いが、きっと、僕以上にこの特効薬に対する喜びが大きいのだろう。



この日のグラシス家は、お祝い以外に何も出来はしない。
その様子は、きっと全盛期と言われた五代前の時代の、この屋敷の賑わいと変わらないのではないだろうか。

心は晴れやかだった。
それ以上に僕は、この家に生まれ、この家で育った事を誇りに思ったものだ。

今回に限っては、グラシス家の先代たちの、多くの意志に導かれた気がして、僕はその事を考えずにはいられなかった。
そしてやはり僕は、この家を継ぐ者として後継者を生み、育てなければならないのだろうと、強く意識するに至った。
大切な妻、ベルルと共に。

今の僕の残した魔法が、遠い未来で、まだ見ぬ強大な病に対抗する薬のヒントになるのかもしれない。ローヴァイの残したものが、今の時代になって、不治の病に対する薬になった様に。
グラシス家の築いた礎は、きっと一つの希望となるんだろう。そしてそれを受け継ぐ者が、必ず必要なのだ。


賑やかで幸せな宴の席で、ぼんやりとそんな事を考えた。
昨晩から今朝までの発想、調剤、完成に至るまでの興奮も醒め、どっと疲れが出て来たのだろう。

眠気の中で、遠い未来を、見てみた。


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Sense1


――《Only Sense Online》
 通称【OSO】。プレイヤーは、センスと呼ばれる才能を装備し、唯一の生き方、only oneなプレイスタイル、を謳い文句にオープンβ版より話題を集めているVRMMORPGらしい。
 発売元のエプソニー社が開発した自立型AI、リアリティ重視のグラフィックと大型サーバーの物量的演算能力によって可能な限りのリアルな仮想現実を実現。その世界観は、中世を基盤とした剣と魔法のファンタジーというテンプレ世界観だが、他のVRが霞んで見えるほどの完成度らしい。
 センスの極め方は人それぞれ。派生のセンスなどが無数にあり、オープンβから新たに追加されたセンスも存在するらしい。

 ――プレイスタイルは、まさにonly――との友人談

 そして俺は、正式オープンの前日、なぜか、なぜか。友人宅に拉致監禁、もとい夏休み初日に宿題の強制消化を手伝わされていた。
 その相手は、悪友の巧(たくみ)である。

「おい、峻。ちょっと数学の答え見せてもらうぞ」

 遠慮なく、俺の労力をかすめ取る巧。俺は今、こめかみに青筋を当てて、痙攣し始める頬、そしてふつふつと湧き出す怒りを無理やりに押しとどめる。

「お前、何故だ? 何故に俺をここに連れてきて、宿題を公開しなければならない」
「良いだ楽天 バッグ
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ろ。毎年の風物詩、夏休み終了間際の宿題消化が前に来ただけだろ」

 そう、しれっと言うのは悪友にして幼馴染の上屋巧だ。しかも理由は、今年の夏はゲーム三昧をするためらしい。

「で、今年の理由は、ゲームを夏休み中にやるって理由なんだろ?」
「そうそう、後顧の憂いなくやるためよ。それにしても助かったぜ。ソウルブラザーは、俺を裏切らないな」
「いや、お前。俺のばらされたくない過去を楯に揺すっただけだろ。まあ良い。今年は早く宿題を終える気になったんだからな。だが、俺にとってメリットが無いぞ」

 我が家は、両親共働きで、夏の長期休暇は、子供たちが家事を担当するが、実質的な担当は、兄の俺だ。一番上の姉は、遠方の大学に行き、妹の美羽一人は家事能力壊滅的。だから、何時までここに拉致されているのかが、かなり心配なのである。

「お前、静姉さんと最近電話でしか話をしてないだろ? 実は、静姉さんもこのゲームやってるんだ。だから、お前もこのゲームをやって久々に兄妹三人で遊べばいいんじゃないの?」
「という事は、美羽もこのゲームやってるのか?」
「ああ、β版の時にたまに会っていたらしいぞ」

 ああ、なるほど。大学へ進学して家に居なくなると分かった時、あれだけ騒いでいたのに。最近ではそれを忘れたかのような明るさは、そういう理由か。

「さあ、宿題を全て置いていけ! 代わりに貴様を開放し、ゲームの機材をやろう」
「……全く、分かった。俺もゲームをやってやるよ。だが廃人のお前らにはペースは合わせないからな」

 そう言って、巧は紙袋を取りだした。その中身は、新品のゲームの機材であるVRギア。最新のVRは、ヘッドディスプレイ型ではなく、催眠誘導型らしい。
 エプソニー社が開発した最新型の中で、現在対応しているゲームは、件の【OSO】だけらしい。つまり、現状ではそれ専用のゲーム機材だ。
 催眠誘導型の利点は、操作が脳波で行われているので、従来のように一人称視点のディスプレイを見ながら、手元では別のコントローラーを操作するという、長年の課題である操作性のギャップが解消された。

「お、おい。これ、テレビでやってた新商品なんだろ。今、出荷数が追いついてないって、こんな物貰えないぞ」
「気にすんな。それは懸賞で当てたような奴だ。俺はβ版のテスターで貰ってある。ただ、設定に時間がかかるんだよな。固有の脳波検知だかで。だからもう帰れ。分からないことは美羽ちゃんにでも聞けばいいから」
「お、おう」

 俺はそれを持って悪友に送りだされる。
 危険もない、オンリーワンなゲーム攻略が始まる。
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改稿・完了

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第3話 盗賊団討伐(前編)






 1

 魔獣を倒したあと、バルドたちは村に戻った。
 村長が飛び出してきて、クリルヅーカの足元にひれ伏した。

「し、子爵様!
 どうかっ、どうかっ。
 われらをお哀れみくださいませ!
 山賊が、山賊が。
 村が皆殺しにされてしまいますっ。
 お助けを。
 なにとぞ、なにとぞお助けを!」

 驚いたドリアテッサはクリルヅーカから降りた。

「どうしたのだ、|村長《むらおさ》。
 いったい何があった。
 落ち着いて説明しなさい」

 村長は事情を話し始めた。
 話しているうちに落ち着いてきたようで、段々と順序立てて説明できるようになった。

 バルドたちが村を出た三日後に、騎士ヘリダンは村を出た。
 もともと持っていた荷馬車だけでは負傷者を積みきれなかったので、村の荷馬車二台を買い取って。

 それから十数日が過ぎたある日、北の村からペルジャグという若者が息も絶え絶えに飛び込んで来た。
 村が山賊に襲われ全滅したというのだ。
 しかもボーバードの領主は兵を出してくれそうもないという。
 山賊は北の村に居座っているが、食べる物がなくなれば、次に狙われるのはこの村に違いないといpuma スニーカー
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う。

「おかしな話なんでございます。
 北の村もこの村も、ボーバードの領主様とは守護契約を結んでおりまして。
 いつもは十日に一度は巡回があるのに、ここ三十日ばかりは巡回がございませんで。
 しかも、ペルジャグの申しますには、ボーバードの領主館に駆け込んだら顔見知りの兵士がおりましたそうで。
 その兵士に山賊のことを申しましても、あいまいなことを言うばかりで、まともに取り次いでもくれなかったそうなんでございます。
 ペルジャグは、これではらちが明かないと考え、この村に来たようなわけで。
 私も驚いてすぐに息子をボーバードに遣りましたのが五日前で。
 馬で行かせましたから、もうとうに帰って来るはずが、いまだに何の知らせもございません。
 こ、このままでは、次に襲われるのはこの村でございます。
 せっかくここまでにした村を放り出して逃げるわけにもいきませんし、皆の家財を積み込めるだけの荷馬車もございません。
 どうか、どうか、子爵様。
 遠いゴリオラ皇国の騎士様にお願いするのは筋違いではございますが、私どもを憐れとおぼしめしくださり、どうかお助けくださりませ」

 村長の言い分はよく分かる。
 これが流れの騎士や傭兵なら、金銭で雇うということもある。
 しかし、貴族を平民が雇うことはできない。
 貴族にはただただひれ伏して慈悲を乞うしかないのだ。
 そして実情はどうあれ、建前では、貴族は力なき民を哀れみ助ける存在だ。
 また、この村とゴリオラ皇国は無関係というわけではない。

 ゴリオラ皇国から東に向かって進み、大オーヴァを越え、少し南に下ったところに、ヤドバルギ大領主領がある。
 ここはもともとゴリオラ皇国を追放された貴族が流れ着く場所だった。
 追放貴族たちは、なにがしかの財貨や家臣あるいは領民を連れてこの地に落ちた。
 持ち込んだ知識や道具を生かして辺境開発を始め、そこに人々が集まって、やがて大領主領にまで発展したのだ。

 やがてヤドバルギ大領主領の中での権力闘争に敗れた一派が独立してボーバード領となった。
 ボーバードはヤドバルギ大領主領のすぐ東に位置するが、両者の仲は悪い。

 のちに、ボーバードのさらに東の北と南に村ができた。
 ボーバードで罪を犯した者たちが、荒れ地開拓を条件に自由を得て作った村だ。
 ここはその南側の村にあたる。
 人の手の入っていない奥地ではあったが、ここらは野獣もそう多くなく、地味は肥え、水は豊富で天候も穏やかだ。
 そうして今日まで二つの村は平和を楽しんできたのだった。

 ボーバードの人々はもちろん、二つの村の民は、ゴリオラ皇国の貴族や民になど会ったこともない。
 それでも、自分たちはもともとゴリオラ皇国に発した民だと考えていて、非常な親しみとあこがれを抱いているのだ。
 だから、この災難のときにゴリオラ皇国の子爵騎士が居合わせていたことは、天の配剤に思えたのだろう。

 すがりつかれたドリアテッサは当惑している様子だ。
 無理もない。
 同行している騎士たちは彼女の部下ではなく、命令できる立場ではない。
 それどころか、簡単には返せない恩義のある相手といってよい。
 ドリアテッサが何かを言う前に、ゴドン・ザルコスが、こう言い放った。

「ううむ、それは難儀だな、村長。
 だが、安心せよ。
 こちらにおられるバルド・ローエン卿は、あまたの魔獣や悪人どもを退治して勇名をはせたおかたで、はるか南方の地では〈人民の騎士〉と呼ばれ、民から尊崇を受けておられる。
 ローエン卿が悪いようにはなさらぬぞ!」

 おおお、と村人がどよめいた。
 お助けくださるそうじゃ。
 ありがたや、ありがたや。
 バルド・ローエン様じゃと。
 人民の騎士様じゃそうな。
 などと口々に言いつのった。
 中には地に伏して拝んでいる者もある。

 バルドは、その様子を苦々しく見つめた。
 ゴドン・ザルコスは、何度言い聞かせても、バルドの名を宣伝することをやめない。
 いや。
 宣伝している気はないのだろう。
 これは、ゴドン・ザルコスなりの、民への愛の表現なのだ。

  いずれにしても、これは放ってはおけん。
  まずは、ペルジャグという青年に話を聞かねばならんの。

 と、バルドは思った。
 その夜、村長の家で詳しく話を聞き、一行は翌朝出発した。
 ペルジャグは夜のうちは同行すると言って聞かなかった。
 だが一度眠ると泥のように寝て起きなかった。
 北の村からボーバードへ、ボーバードから南の村へと、不眠不休で駆けたのだから無理もない。
 コルチという青年が道案内に同行してくれることになった。

 北の村を目指して馬を進めながら、バルドは魔獣と戦うヴェン・ウリルの姿を思い出していた。

 素晴らしい動きだった。
 ヴェン・ウリルは大赤熊の懐に飛び込んで、そこから離れることなく戦った。
 ただ一つの打撃をかわしそこねれば命を失うというのに。
 平然と涼やかに、剣も抜かずに魔獣を引きつけ続けた。
 ドリアテッサや他の者が戦いやすいように。
 しかも、いざドリアテッサに危機が迫ると、大赤熊の太い足首を骨ごと切断してみせた。
 けっして大きいとはいえない剣のただ一振りで。
 剣もよいが、腕もずば抜けている。
 その気になればたった一人でいともたやすくあの魔獣を倒せたのではないか。

  ヴェン・ウリル。
  大した男じゃ。

 見事な技を見て、武人としての血が騒いだ。
 ヴェン・ウリルが放つ息吹にさらされて、おのれも強くなったような気がした。
 バルドは、騎士を夢見た少年の日にかえったように自分の心がわくわくと高揚しているのを感じていた。
 その心の高ぶりが伝わったのか、ユエイタンが速く進みすぎるので、時々しずめてやらねばならなかった。




 2

 一行は野営の準備をした。
 北の村までには途中で二度野営することになる。
 無理をすれば一度の野営で着く距離だが、疲れ切った馬と人では役に立たない。

「ふう。
 ごっそうさまー」

「バルド殿。
 ごちそうさまでした」

「おいしかった」

「あるじ殿は料理がうまいな」

 根が食いしん坊じゃからの、と受けてからバルドは言った。

  ヴェン・ウリルよ。
  そのあるじ殿というのはやめてくれんか。
  前にも言うたが、わしはおぬしを買ったつもりはない。
  おぬしの手伝いはとても助かっておるがの。
  この盗賊退治は手伝ってほしいが、そのあとはどこでも好きな所に行け。

「ふむ。
 あるじ殿。
 私はあるじ殿に、まず三連続攻撃を仕掛けた」

 それは一年前のことだ。
 コエンデラ家に雇われた刺客として、ヴェン・ウリルはバルドに決闘を申し込んだのだった。

「あるじ殿は、三度の攻撃を三度ともしのいだ。
 傷一つ受けずに」

 バルドは、それは運が良かっただけのことじゃと言ったが、ヴェン・ウリルは首を振った。

「運でさばけるほど、私の剣は甘くない。
 あるじ殿の技量で私の斬撃をしのげるのは、百に一つだ。
 百に一つが三度続くことなどあり得ぬ。
 私はあのとき、あるじ殿が天に守られていることを知ったのだ。
 あるじ殿を殺すことは、天意に背くことだ。
 天に背いた人間はほろびるしかない。
 私は、あのときまだ滅びるわけにはいかなかった。
 だから、あるじ殿とは戦いたくないと思った」

 そういえば、あのとき、最初の連続攻撃のあと、ヴェン・ウリルの攻撃は精彩を欠いたようにも感じた。

「私に命令していた愚か者が自ら死んだため、あるじ殿との戦いをやめることができた。
 だが金を得る見込みが失われた。
 私は天を試すことにして、願を掛けてリンツで自分を売りに出した。
 その願を掛けた最後の日に、あるじ殿は私を買った。
 必要な金額の十分の一にも満たない金額だったが、これで何とかなるのかもしれないと思った」

 バルドは、おぬしは果たさねばならぬ用事があると言っておったのう、それは無事に済んだのじゃな、と訊いた。

「済んだ。
 私の妹が、遊郭で客を取らされることになった。
 買い戻すには百万ゲイルが必要だった。
 私は早くに家を出ていたのだが、あるときそれを知った。
 期限が迫っており、あるじ殿の金を持って向かった。
 すると妹を妻に迎えたいという男がいて、金を用意してくれたのだが、少し足りないということだった。
 あるじ殿の金は、旅に必要な金を使ったあと、足りない分をちょうど補うだけあった。
 妹は幸福を得た。
 あと数日遅れたら間に合わないところだったらしい。
 私はあるじ殿がまさに天意を受けた人だと知ったのだ」

 言葉通りには受け止められない話だ。
 どれほど高級な遊女であっても、身請け代が百万ゲイルとは法外に過ぎる。
 そのほかの部分も、いかにも作り話くさい筋立てだ。
 だが、まるきりの嘘ではあるまい、とバルドは思った。
 何かの事情で、事実をそのままには口にできないのだろう。
 口にすればヴェン・ウリルに危難がふりそそぐか、あるいはバルドたちが火の粉を浴びねばならないようなわけでもあるのかもしれない。
 しかし、バルドの問いに黙秘を返したくはなかった。
 だから、作り話で答えた。
 この作り話の中に、精一杯の真実が含まれている。





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10月16日「盗賊団討伐(後編)」に続く

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ね?」
源次郎は結論を先に言う。
そうすることで、再び主導権を取り戻したかった。

「あ、はい???。」
笠野が意外な顔をした。まさか、源次郎からそう切り出してくるとは思っていなかったようだ。

「実は、昨日、美由紀さんに叱られましてね。」
源次郎は、結論から切り出した理由をそう説明する。もちろん、事実ではないのだが???。

「はぁ? ま、まさか!」
「い、いえ、本当なんです。何をモタモタしてるんだってね???。」
「そ、そうだったんですか???。」
「はい???。僕は、こうした書類に慣れてないものですからね。慎重にならなければ???って思ってたんですが???。」
「仰られることは、当オメガ 激安
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然かと???。」
「でも、美由紀さんは、即断即決で???。」
「??????。」
笠野は何度か小さく頷くようにしながら対応してくる。

「それに、既に、札幌での舞台構成をいろいろと考えているようで???。」
「ああ???、そ、そうでしたか???。それは、有り難いことで???。」
このときには、笠野の顔にぱっと明るさが差した。もちろん、すぐにそれを飲み込むようにして消してしまうのだが???。

「ところで???。」
源次郎は、鞄の中から、昨日この笠野から預かった仮契約書を取り出しながら言葉を繋ぐ。

「あ、はい???。」
笠野が身構える。ここが最後の詰めの場面だと思っているらしい。
何としてでも、この契約書を持ち帰りたいのだろう。

「今日、これに僕がサインをするとしますよね?」
源次郎は、ある思いがあって、その言葉を冠として使った。

「あ、はい???。ありがとうございます。」
笠野もさすがはベテラン営業マンである。
源次郎の言葉に、それに続く何か

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qwduws
く場面を何度も見た。
だが、それは見ただけで、経験ではない。
事実、源次郎は、こうしてベッドの中で女性の着衣を脱がしていく作業をするのは初めてだったのだ。
今までに、そんな手間を掛けてセックスに及んだことは無かった。

(ああ???、これがあるからか???。)
源次郎は、ようやく気づく。
そう、小振りとは言え、その両脇には美由紀の乳房が並んでいる。
それがあるから、滑っていかないのだと気が付く。

それでも、そのホックが外れたことを確認したいという気持があったのか、源次郎は自分の指を使って、その着衣を両脇へと拡げる。
つまりは、美由紀の両乳房を露出させる。

「あぅぅっ???。」
美由紀がそう呻く。
眼を閉じてはいるが、やはり源次郎の一挙一動については分かるのだろう。
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次郎に、何をどうされたのか、そこに意識を集中しているらしい。
その結果としての呻きなのだろう。

「??????。」
源次郎は声が出せなかった。
それでも、さらに次のホックへと指を移動させる。

(ど、どうやら、あとふたつのようだな???。)
そこまで行って、源次郎はそのことを実感する。


4つ目のホックを外した。
同じように、「ぷちっ!」と小さな音がする。
だが、今度は美由紀は特に反応しなかった。
口を半開きにしたままで動かない。

そして、5つ目のホックに移動する。

(これで最後???。)
源次郎は、どうしてかそのことを強く意識する。


(つづく)



第2話 夢は屯(たむろ)する (その998)

(あっ! 仕掛けてくる?)
源次郎は、一瞬、そう思った。
昨日までの美由紀の動きに共通する気配があったからだ。


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第二十三話 異形その二

「つまりはそういうことだな」
「はい、そうです」
 また答えた老人だった。
「それが我々の無上の喜びであった筈ですが」
「ええ。それはね」
「その通りだ」
 女と男はその通りだと老人のその言葉に対して述べた。
「私達は戦いたくて仕方がないからこそ魔物になった」
「妖怪達から抜けてな」
「妖怪は楽しみを求めるものです」
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 老人はその本来の自分達についても知っていた。知らない筈もないことだった。何しろかつての自分達のことなのであるからだ。
「私達はそれが戦いであったが為に神々に疎まれ」
「髑髏天使を向けられることになった」
 青年が言った。
「その我等の戦いによる害をなくす為にな」
「神々は心配性です」
 老人は彼等について口元だけで笑ってみせて述べたのだった。
「私達は人間にもこの世の摂理にも何の興味もないというのに」
「魔神という名前が気に入らないとでもいうのか」
 紳士は自分達のその名前について考えを及ばせていた。
「だからだというのか」
「そうかも知れないね」
 子供は紳士のその言葉に応える。
「あの人達ってさ。邪神とか魔神ってレッテル付けてすぐに動くしね」
「邪神ですか」 
 老人は自分達とは違うその存在に対してふと考えを巡らせたうえで言葉を出した。
「そういえばです」
「どうかしたのか?」coach かばん
「太古にそうした存在の中でもとりわけおぞましい者達がいたと聞いていますが」
「おぞましいのかよ」
 ロッカーはそのおぞましいという言葉に眉を顰めさせた。
「俺達はただ戦えればいいだけだからな。髑髏天使がその相手をしているだけでな」
「我々の闘争心が最も激しくなる五十年に一度のその時に」
 その時にこそ髑髏天使が姿を現わすのである。そうしてその魔物達と戦いそのうえで倒す。それが髑髏天使の存在意義なのである。
「この世に出てです」
「その他の時も適当に腕に自信のある人間とか妖怪やあちこちの神様の手の連中と楽しくやってるけれどね」
 子供はここで魔物の普段のことを述べたのだった。
「それでも。今はね」
「その五十年に一度です」
 ここでまた言う老人だった。
「お祭の時です」
「髑髏天使と我々の」
「その祭の時」
「そしてそのお祭に」
 老人はその言葉をさらに楽しげなものにさせて述べてきた。
「また一人戻って来られます」
「また一人か」
「今度は誰かしら」
「どうやらアフリカからですが」
 男と女に対して出してきたのはこの地であった。
「アフリカから来られます」
「アフリカから」
「というと」
 その二人はアフリカと聞いてそれぞれの目を光らせた。そうしてそのうえで老人に対して問うのであった。
「北かしら。それとも」
「南か。どちらだ」
「そこまではまだわかりません」
 しかし老人の今の返答はもう一つ要領を得ないものであった。
「アフリカから気配を感じただけですから」
「そうなの。それだけなの」
「アフリカというのがわかっただけか」
「しかし間違いなくどちらかだ」
 青年はそれだけでよしとする節を見せていた。
「それならば問題ない」
「そうだね。果たしてどっちかな」
 子供もここで楽しそうな笑顔を浮かべてみせるのだった。
「それを楽しみにしておくのも悪くないよね」
「ああ、じゃあどっちが来てもいいようにな」
 ロッカーもその子供の言葉に賛成して頷くのだった。そしてそのうえでまた言った。

N1803G-140
qwduws
第九話 氷神その七

「この本にしろ案外近くにあったんじゃよ」
「近く!?」
 近くと聞いて目を動かせた牧村だった。
「近くにあったのか、それだけの本が」
「うむ、日本にあった」
「日本に!?」  
 それを聞いても顔を顰めさせるしかない牧村だった。
「十一世紀のアイルランドの本が日本にか」
「不思議か」
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「普通はないだろう」
 これは彼の主観ではなく誰もがこう考えることであった。何しろそれだけ過去の本になるとアイルランドですら滅多にあるものではなくしかも日本にあるなどとは誰も夢にも思わないからだ。彼が今こう考えたのも無理もないこと、いや当然のことであったのである。
「日本には」
「ところがそれがあったのじゃよ」
「何故だ?」
「イギリス人が持って来たのじゃよ」
「イギリス人がか」
「名前はウィリアム=アダムスという」
「三浦安針か」
 それが誰のことなのか牧村はすぐにわかった。江戸時代初期に日本にやって来て徳川家康に仕えたイギリス人である。その名は東京に地名として残っている。
「あの男が持って来たのか」
「そういうことじゃ。それを徳川家康に献上してのう」
「この本をだな」
「うむ。それが幕末の混乱で徳川家から八条家に移り」
 八条学園の理事でもあるその家だ。八条家は代々公家の名門であり明治維新でも討幕派を支援し維新後では公爵になっている。そうした名門なのだ。
「それでこの大学の図書館にあったのじゃよ」
「また随分と数奇な話だな」
「まあ手に入れたのも運命じゃ」
 今度はこう話す博士だった。
「思えば君もそうじゃしな」
「髑髏天使か」
「その通りじゃ。五十年に一度世界に現われる髑髏天使」
 最早言うまでもない。彼の今闘う理由である。
「それになったのもな。本当に数奇なことじゃて」
「そうだな。だがそれはいい」
「よいのか」
「受け入れると決めている」
 これが彼の結論であった。既に決めている。
「だからだ。それはいい」
「その達観ならばこの本の数奇さも受け入れられるな」
「そうだな。俺と同じか」
 ここで不思議な親近感を覚えその本を見るのだった。本は何も語りはしない。だが古ぼけたその姿を今牧村にも見せているのであった。
「この本もまた」
「うむ。数奇な運命はよくあることじゃ」
 博士はまた言う。coach アウトレット バッグ
「しかしじゃ。問題は」
「それを受け入れどうするかだな」
「そういうことじゃ。わかっていれば話が早い」
 博士の顔がここでまた綻んだ。
「生き残るようにな。最後までな」
「わかった。ではな」
 ここまで話して踵を返し部屋を出ようとする。だが扉へ着くその途中で振り向きこう博士と妖怪達に対して告げるのであった。
「羊羹、有り難うな」
「どういたしまして」
「それじゃあね」
 妖怪達の明るい返事が返る。彼はそれを受けた後で講義に向かう。その途中の校舎の廊下を一人歩いている。校舎は白くコンクリートの壁とビニールの廊下で造られている。彼はその校舎の中を進んでいたがその前から。大柄な一人の男がゆっくりとやって来たのであった。
 見れば赤い顔をしておりしかも彫がある。だがその顔立ちはアジア系のものだった。ジーンズにシャツがその逞しい身体によく似合っている。牧村はその男からすぐに得体の知れぬ、しかも圧倒的なまでの凄まじい気を感じ取ったのだった。一言で言うと妖気をである。
「まさか。こいつは」
「貴様か」
 男は牧村の前に来た。そうして不敵な笑みを口に浮かべて彼に声をかけてきた。
「今の時代の髑髏天使は」
「貴様は一体」
「神だ」
 その不敵な笑みをそのままに牧村に返してきたのだった。
「俺は。神だ」
「神か。ならば三人目だな」
「そうだ。我が名はウェンティゴ」
 自ら名乗ったのであった。

N3944O-52
qwduws
第五話 初陣その一

                    第五話  初陣
 尾張の状況はだ。大きく変わろうとしていた。
「今川だな」
「はい」
 平手が主信秀の言葉に頷いていた。
「一度叩いておきましょう」
「そうだな。そしてだ」
「信長様ですか」
「頃合いだな」
 こう平手に告げた。
「そう思うのだがな」
「確かに」
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 平手も主のその言葉に頷いてみせる。
「そう思います」
「ならばじゃ。伝えておけ」
 信秀の言葉はすぐだった。
「このことをな」
「わかりました」
 こうしてであった。平手は信長のいる那古屋に戻った。そうしてそのうえで主と居並ぶ家臣達に対してこのことを告げたのであった。
「ふむ、確かに」
「頃合いですな」
 まずは柴田と林が頷いた。
「そろそろと思っていたが」
「絶好の機会ですな」
 二人はそれぞれ言う。
「殿の初陣にはです」
「いい時です」
「他の者はどう思うか」
 平手は二人以外の家臣達に問うた。
「殿の初陣。よしと思うか」
「望むところですな」
 前田は大きく笑って述べた。
「一番槍はわしが果たしましょうぞ」
「いや、このわしが」
「それはわしぞ」ヴィトン バッグ
 佐々と河尻も名乗り出る。彼等の意気は盛んであった。
 そして主の信長はというとだ。まずはその座で静かに聞いていた。しかし家臣達は一通り話し終えてからだ。こう言ってみせたのである。
「では出陣じゃ」
「出られるのですね」
「相手は今川だな」
 平手に対してこのことを問うた。
「そうであろう」
「はい、左様です」
 平手もその通りだと答える。
「三河の安祥城の件以降尾張に迫る今川に対してです」
「そうであろうな。今は今川しかない」
 信長は全てがわかったかの様な口調であった。
「我等が戦う相手はな」
「さすれば殿」
「ここは」
「皆も用意せい」
 その家臣達にも告げた。
「全員じゃ。よいな」
「はい、それでは」
「今より」
「出陣は三日後とする」
 その日まで告げた。
「先陣は権六、御主が務めよ」
「それがしがですか」
「そうじゃ、それに久助もじゃ」
 滝川にも顔を向けて告げた。
「御主も先陣じゃ」
「それがしもまた」
「しかし御主は権六とはちと違う」
 その滝川を見てからだ。さらに話した。
「そなたのやりたいようにせよ」
「それがしの」
「敵陣を荒らせ」
 そうせよというのである。
「そして事前に敵のことを調べておけ。よいな」
「はっ、それでは」
「赤母衣、黒母衣の者はわしの傍におれ」
 前田や中川といった面々を見ての言葉である。
「新五郎に牛助達もじゃ。じゃが五郎左はじゃ」
「はい」
 ここで丹羽にだ。声をかけるとすぐに彼から言葉が返ってきた。

N5016G-28
qwduws
26:蜀/違和感の正体、心の拠り所

50/僕の弱さ、キミの弱さ

 政務の手伝いを終え、参加出来る人のみで開く勉強会。
 勉強と言うよりは説明会にも近い。なにせ教える立場の俺が、自分の世界のことをなんでも知っているわけではないからだ。
 振るう教鞭なんてものはなく、代わりに振るうのは人差し指。
 拳からピンと立てたソレをくるくると回しながら、貸してもらっている一室で自分が知っている知識を話して聞かせていた。
 ためになることから、自分も疑問に思っていることまでいろいろと話し、空いた時間にはひらがなの勉強や算数の勉強。
 1と書くにも壱と書くもんだから、数字自体がすでに難問と化して
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エルメス バッグ カタログいた。
 ……の割には、結盟誓約書には“壱”じゃなくて“一”って書いてあったような……。

「えー、はい。この時、吾郎くんは100円玉を持って買い物に行きました。消費税5%のご時世に5円の菓子を目一杯買うとして、何個まで買えるでしょう」

 消費税の定義を語るとキリがないものの、一応は説いてからの問題。
 「“ぱーせんと”ってなんだよー」と散々質問を投げかけられ、一割~十割の計算の説明の延長というべきか、そういった喩えを持ち出しながらの説明に入り、ようやくいざ問題をって頃。
 これに対し、手を挙げた生徒Aの文醜さんは、エルメス バッグ ガーデンパーティー

「これで買えるだけよこせって言やぁ解決じゃん」

 物凄い正論を言ってのけました。うん、説明したパーセントのこととか完全無視の答えをありがと───ああっ、ちょっと待った! そうだそうかとか頷かないでっ! これじゃあ問題じゃなくてなぞなぞだよ!

「……問題変えようね。吾郎くんの目の前に10個の桃があるとします。食べたいと思う人はその場に3人。これを均等に分けるとして、一人は幾つ食べられるでしょう」
「あたいが全部食べる!」
「鈴々が食べるのだ!」

 で、問題を変えればこんな感じ。
 生徒Bの鈴々とともにハイハイと手を挙げるでもなく、素直な答えを───って違う!

「三等分! ちゃんと分けて!」
「うー……あたいが八個食べて、他のやつに一個ずつやればそれでいいじゃんかよ~……
「鈴々、十個くらいじゃ足りないのだ」
「あ、じゃああたいもっ」
「問題ぶち壊して増加を求むと!?」

 ああ、うん……ええっと……ねぇ……?
 どうして今日は、文醜と鈴々と関羽さんしか集まらなかったのかなぁ……。

「えーと……思い付いた答えをすぐに口に出すよりも、頭の中で様々な考え方で答えを求めてみて。あととりあえずは吾郎くんの存在忘れないで……。問題の主役は吾郎くんだから……」
「ちぇー……ずるいよなー吾郎は」
「いっつも美味しいもの食べすぎなのだ」
「空想の人物にまでイチャモンつけないでくれ、お願いだから……」

 問題を出せば、誰もが自分と照らし合わせて考えるものだから誕生した吾郎くん。
 今のところ、その活躍を見た日は一度も無い。
 こんなことが続いていると流石に辛くなってきて、泣き言の一つでも言いたくもなるんだが───本日の救いは、懸命に頭を働かせている関羽さんの存在だ。

「……一刀殿。桃の答えだが、一人が三つと三等分にした桃を頂くことで解決、と……これでいいだろうか」
「あっ───《ブワッ!》か、関羽さぁあ~~~ん……!」
「うわぁっ!? こ、こんなことくらいで泣くんじゃないぃっ! こんなもの、少し考えれば解ることだろうっ!」

 本当はその個数を数字に表してもらう予定だったんだけど、もうダメ。普通に正解してくれただけでこんなに嬉しい。
 すぐに答えなかったのは、鈴々と文醜が答えるのを待ってたからなんだろうけど……うう、出来た人だなぁ。
 算数から始めてやがては数学を……とか思ってた自分にハンカチーフを振りたい気分だったもんだから、それはもう嬉しかった。
 この時、関羽さんの言葉に少しだけ違和感を感じたんだが……喜びが勝ってしまい、気にせず次の問題へと駆けてしまった。

「じゃあ次。また三等分の問題だけど、今度は解りやすく……えっとそうだな。文醜さん、三等分の時はさ、袁紹さんと顔良さんと何かを分ける時と一緒って考えてみて?」
「なんだ、それならそうって早く言ってくれよ~。じゃ、“麗羽さまが欲張って斗詩が遠慮してあたいがいっぱい食べる”でいいんだなっ?」
「ごめんなさい今の無し。じゃあ鈴々。桃香、関羽さん、鈴々で何かを綺麗に分けるとしたら───」
「お姉ちゃん、自分の分はお腹が空いた誰かにあげちゃうのだ」
「…………《スゥウ……》」
「わっ! お兄ちゃんがまた泣いたのだ!」

 ……うん。人を喩えに出しての問題、よくないね。桂花もそれで失敗してたきらいがあるし。
 そして桃香……キミ、良い人すぎ。眩しいくらいだよ。

(……桃香か)

 桃香、ときて思い出すのは執務室での会話。
 気づかなきゃいけないなにかと、気づいちゃいけないという自分の内側。
 いったい何が言いたいのか、自分の胸を裂いて覗いてみたいくらいだ。
 自分のことは自分が一番解ると誰かは言うけど、記憶に関しては随分と曖昧だな。……そう心の中でぼやきつつ、視線を戻す。
 今度の問題も関羽さんが答えてくれて、幾分救われながら授業を続ける。
 “考えること”を基準に置いてくれるようにという名目で始めたはずなのに、鈴々も文醜も考え方を一つしか用意せず、我こそ至上最強の猪ぞと胸を張るが如く、思い当たった先から口に出している。それが外れると、次の問題が出るまで考えることを放棄しちゃうんだから大変だ。

「うーん……なぁ鈴々。戦ってる最中はさ、相手が次にどう動くか~とか想像するだろ? その延長みたいに、“この問題はこう、それがダメならこう”って、どんどんと考えを変えていくんだ。……出来るか?」
「んー……難しいことはよく解らないのだ。戦ってる時は、“やーっ!”って振るって“たーーっ!”って振るって、勝つって気で適当にやってれば勝てるのだ」
「しっかりしろよ御遣いのアニキ。そんなの当たり前だろ~? 負ける気で行ったって得するわけでもないんだから、いくぜーって行けばなんとかなるもんなんだって」
「………」

 自分を喩えにあげることが好きなら、いっそ自分に喩えて考えさせてみたらと思った僕が浅はかでした。
 そうだよなー……実力の基盤からして、そもそもが常識から外れてるんだから。こんな比喩を出した時点で敗北は当然だったのか……。

(い、いやいやっ、可能性を捨てるのはよくないことだっ、次だ次っ!)

 うんっ、と頷いて次の問題へ。
 文句を言いつつもこれで結構楽しんでくれてるのか、鈴々も文醜も逃げ出さずに聞いてくれている。
 文醜は袁紹さんと顔良さんに言われて仕方なく、鈴々は関羽さんに連れられての参加だったんだが───うん、少し安心した。

「次の問題ね? 吾郎くんが敵に囲まれました。吾郎くんの実力は、せいぜいで二人を倒せる程度。しかし相手は三人居ます。仲間が居る場所に戻るには全力で走っても───」
『根性で三人ともやっつける(のだ)!!』
「吾郎くんの武力を無視しないで!? 二人までなのに三人居るんだってば!」
「それって吾郎的には死地ってことだろ? 人間死ぬ気になればなんでも出来るって」
「吾郎はそんなに弱い子じゃないのだ」
「文醜!? それって吾郎くんにとって地獄でしかないから! 鈴々、キミどこのお母さん!?」
「いいや一刀殿。敵はたかだか三人程度。援軍が来ないのであれば、信ずるは己が武力のみ。生きるか死ぬかならば、せめて一人でも敵を削らんとする吾郎殿の心、汲んでやることこそ───なに、心配など無用だろう。吾郎殿ほどの者ならば、三人程度の雑兵などに遅れは───」
「関羽さぁああああんっ!!」

 とうとう関羽さんまでおかしな方向に走り始めてしまった。
 うん、戦いのことを問題にしたのは間違いだった。
 さらに言えば問題の主役を吾郎くんにすることで、いつの間にか吾郎くんが何でも出来るスーパーマン的存在として、三人の思考に植えつけられてしまったらしい。相手が雑兵だなんて一言も言ってないのに。

(……? あれ?)

 で、また違和感。
 なにかな、と軽く考えてみると、いつの間にか関羽さんから“一刀殿”って名前で呼ばれてることに気づいた。
 今日会うまではずっと北郷殿だった気がするんだけど…………ハテ。
 訊いてみようかとも思ったが、ここで訊くのも……いろいろと野次が飛びそうだ。関羽さんだけの時に訊いたほうがいいだろう。

「じゃ、じゃあ吾郎くんを話に出すのはやめて、次はべつの誰かを───」
「除名されるのー!? 吾郎いったい何をしたのだー!」
「おいおいアニキぃ、さすがそりゃまずいだろぉ~……」
「一刀殿! 吾郎殿ほどの者を手放すとはどういった理由が───!」
「あぁあもう解ったよぅ! 吾郎くんで続けるよぉっ!! ていうかアニキってなに!? いつから俺そんな感じになったの!? 反董卓連合前に会った時は、“兄さん”とかって言ってたのに!」
「あ~ほら、一応“天下の大将”の傍に立つ人だろ? 御遣い様~とか呼ぶのもあれだし、兄さんってのも今さらだし。んじゃあアニキでいいかな~って。でもなぁアニキ、吾郎を外すのは」
「外さないから! 解ったから次行こう次!」

 いつの間にか、みんなが吾郎くんを好きになっていた。
 皆に慕われる吾郎くん……複雑だけど、笑えるんだから良し、でいいのかなぁ。

(ふふ……少しキミが羨ましいよ、吾郎くん……)

 苦笑をもらしながらそんなことを思う。
 問題も次から次へと破綻し、いつしかまったく関係のない話に至り───ふと気づけば、可笑しな話で鈴々、文醜とともに大笑いしている自分が居て。
 視界の隅で、そんな俺を見て関羽さんが小さく笑っている気がしたんだけど……見てみればそんなことはない。
 頭の中で首を傾げる自分を想像しながら、笑い話から引き戻された思考を授業に戻してゆく。
 ようはあれだ、“解る人”の基準から物事を教えようとするから失敗する。
 だったら相手の気持ちになって考えて、十から百を教えるのではなく一から十を教えてゆく。
 何かを教えるっていうのは地道な作業だ、気長に行こう。


───……。


 で……しばらくして。

「解ったっ! 答えは十だっ、吾郎は十個桃が買えるんだ!」
「違うのだ! 吾郎は十個買えるけど、おじちゃんが一つおまけしてくれるのだ!」
「ばっかだなぁ鈴々、これは幾つ買えるかの問題なんだぜ? 答えは十でいいんだよ。けどあたいなら、吾郎だったら二つはおまけしてもらえると踏むねっ」
「じゃあ鈴々は三個なのだ!」
「なにをーっ!? だったらあたいは十個だ!」
「二十個なのだ!」
「いいや三十個だね!」
「やめてぇええっ!! 潰れちゃうからぁあっ!! 吾郎くんが行っただけでお店潰れちゃうからぁあああっ!!」

 みんなの思考レベルとともに、吾郎くんの地位がどんどんと上がっていった。
 経験値からすれば、みんなの取得経験値と吾郎くんの取得経験値とじゃあ倍以上の差があったわけだけど。

「……こほんっ、うん。正解は十。二人ともやれば出来るじゃないか」
「っへへぇ、まぁ、あたいにかかれば楽勝だよ楽勝」
「えへへー、お兄ちゃん、褒めて褒めてー♪」
「これで余計な付け加えがなければなぁ……」

 頭を撫でられ、にゃー♪と声を上げる鈴々を見下ろしつつ、そんなことをぼやく。
 いや、原因は解ってる。解ってるけど……なぁ。

「“一つのことに対して他方向から考えろ”って言ったのはアニキだろ?」
「あらゆる事態を想定して~とも言ってたのだ」
「だからって十個も二十個もおまけがつくわけないだろ……買った数より多いおまけってなんだよ。……ん、でもそういうことが大事だって伝わってくれたなら、これはこれでいいのかなぁ」
「いいっていいって、そういうことにしとこうぜ~?」
「食べ物の話ばっかりしてたから、鈴々お腹が空いたのだ」
「そっか。……じゃ、今日はこれまでにしようか。何事もほどほどが一番。一日のうちに詰め込み過ぎても、整理出来なきゃ意味無いもんな」

 一歩ずつしっかりと覚えていけばいい。
 無理して壊れるのは、なにも体だけじゃないんだから───とか思ってるうちに二人はさっさと飛び出していってしまい……───呆れる俺と関羽さんだけが残された。

「関羽さんも、お疲れ様。今日はいろいろとありがとう、お陰で助かったよ……精神的に」
「いや、構わん。私も貴重なものを見ることが出来た。あれが……鈴々が、笑いながら勉学に励む姿を見られるとは……一刀殿のお陰だ、礼を言う」
「べつに普通に授業やってただけだし……ってそうだ」

 一刀殿。急にそういう呼び方になったこと、訊くつもりだったんだ。

「えっと、さ。急に話を変えてごめん。その……呼び方のことなんだけど、どうして……
「あ……いやこれは、べつに深い意味があるわけではなくてっ……だな、その。~~~……そう、だな。一刀殿も関係しているというのに、桃香さまだけに謝罪するのはおかしい」
「へ? 謝罪……って、なんの?」

 謝られるようなこと、あったっけ。
 あ、もしかして───って、覗きの件は事故だったとはいえ……いやいや、あれは不注意がどうとかでなんとかなるものじゃないら。

「先ほどの執務室での話、失礼だとは思ったが聞かせてもらっていた」
「…………」

 執務室での……あの話か。
 盗み聞きって意味では確かにいけないことだろうけど、俺自身が困るような内容は無かった───いや待て、大陸の父計画はどう考えてもマズイだろ。
 ───って、さらに待て。そうだ、さっきはすっぽり抜けてたけど、きっかけを思い出した。魏延さんがどうにも不機嫌な理由って、やっぱり張勲と同じく大陸の父計画の話を聞いてたから……なんじゃないか?

「一刀殿が……天の御遣いが大陸の父になる。それにより、各国の同盟意識が強まれば、確かにこれ以上の戦は起こり得ない。承服するか否かを別に見て取れば……なるほど、悪い話ではないはず。しかし一刀殿、貴公はそれを望んでいない……そうだな?」
「うん。確かに俺がそういった軸になれれば、争いの種なんてそうそう生まれない。ある意味で、もっと安定に向かうかもしれないって思うよ。けど───」
「けど?」
「三国の絆って、そんなことをしなくても十分強いんじゃないかな。大陸の父とか、共通の財産とか、そんなものを用意しなくてもさ」

 自分が三国っていう場の支柱になる。それは、想像してみれば光栄に思えることだろうけど、そんなに簡単に決められることじゃない。
 周りがどれだけ言おうと、俺は今まで魏のため華琳のためと自分を高めてきた。
 今の俺がここに居るのは、魏を思っていたからこそ至った自分だと思ってる。
 だというのに、やっと戻って来れたと思ったら大陸の父って……待ってくれとも言いたくなる。

「たしかに、同盟の絆は高いものと言えるだろう。王の仲も、将同士の仲も悪いとは言わない。それどころかよい均衡が保てている。だが民は、兵はどうだろう」
「……それは」
「一刀殿の考えを無視したことになるやもしれない。好ましくないものと関係を持つことなど、我が身に換えて考えれば怖気も走る」
「うん……それは、そうだ」

 頷く───が、関羽さんは俺の頷きに首を横に振るった。

「しかし、それは相手をろくに知らぬがこその嫌悪と私は思っている。……貴公は今、蜀の地に居る。今は表面でしか知り得ぬ間だろうが、これからいくらでも互いを知る機会はある。そして、私は───」

 続ける言葉を一度区切り、彼女は自分の手を見下ろした。
 どこか寂しげに、どこか悲しそうに。
 けれど、その顔が俺に向けられた時には、もうキリッとした真剣な表情へと戻っていた。

「天の御遣いとしてももちろんだが───それよりも私は、人としての。一人の北郷一刀殿を知ってみたいと思った」
「え───……人としての……俺?」

 訊き返す声に、声もなく頷く。
 それは意外な言葉だ。
 みんな、天の御遣いって名前から俺を知って、それから俺って人物を知る人ばかりだった。
 それはきっと華琳だって、雪蓮だってそうだったはずだ。
 けれどこの人……関羽さんは、天の御遣いという名ではなく、俺って個人を知りたいと…

「人のため誰かのため、兵や民を大事に思い、一人の兵や民のために涙を流せる貴公を私は知りたいと思った。……桃香さまに似ている部分を感じるというのに、そんな貴公がなぜ我らではなく曹操の前に降りたのか。なぜ桃香さまの理想のために……今ではなく、必要だった時に手を伸ばしてくれなかったのか。もちろんそういったことを考える。だがそれは御遣いとしての貴公であり、過ぎたことでもあり今さら言って天下が手に入るわけでも、再び戦が起きてほしいわけでもない」
「……うん」
「我らが桃香さまの在り方に感動を覚え、彼女の理想を叶えようと思ったように、貴公にも理由があった。ただそれだけの過去だ。もちろん叶わなかったことへの悔しさがないかといえば虚言にもなる」
「でも、自分だけの我が儘を通して“再び天下を”って立ち上がったら、誰かがまた傷つくことになる」
「その通りだ。この平穏が我らが戦った末に得られたものであっても、我らだけのものではない。この平穏は兵と民、我ら将と……王のもの。命ある限り守らなければならない尊いものだ。それを今さら私欲で崩すなど、出来るはずもしようと思えるはずもない」
「………」

 その意思は固いのだろう。
 そうしたいという雰囲気さえ出さず、たしかに主の理想は叶わなかったが“結果”自体は得られたといった風情で、彼女は頷いていた。
 理想の全てが現実と一致していなければ嫌だ、なんて……どこまでいっても我が儘でしかないんだろう。
 そんな理想を叶えるためには並々ならない努力と犠牲が必要で、それは桃香も関羽さんも望んでいることではないはずで。

「故に───今はこの平穏に感謝し、今伸ばしてくれる手を取りたいと思っている。貴公の人となりは魏と呉からの噂で多少は知っている。加えて朱里や雛里、恋や鈴々が真名を許していることからしても、悪い者ではないとは思う」
「……ん」
「しかし私は己が目と耳で、貴公という存在を知らなければ納得が出来ないだろう。……疑り深いと思ってくれても構わない。だが私は───……一刀殿?」

 語る彼女の目の前で、待ったをかけるように手を突き出す。
 納得出来ないのも疑り深くなるのも当然だって思うし、信じようとしているのにまず疑わなければならない彼女が少し辛そうに見えたから。

「……ありがとう、そんなふうに言ってくれて。俺、もっと嫌われてるかと思った。顔合わせの時は嫌ってなどいないって言ってくれてたけど、大陸の父の話を聞いてからは……嫌われても当然かもしれないって。たぶん魏延さんも、覗いちゃったこととかそれが原因で嫌ってるんだろうし、仕方ないことなんだろうって」
「あ、い、いやっ……覗きの件は私が無駄に騒いでしまったからっ……! すまんっ、まさかここまで大事になるとはっ……!」
「あ、ううん、それはいいんだ。事故だったけど、すぐに出て行かなかった俺も悪い。呆然としている暇があったら、さっさと出てればよかったんだ」
「う……」

 嬉しさと戸惑いと……いや、あの時は戸惑いしかなかったか。
 人間、本気で戸惑うと相手の状態よりも現状の把握に走るのかもしれない。
 それも状況によるんだろうけど、少なくとも俺は固まることしか出来なかった。申し訳無い。

「関羽さん、これから用事は?」
「いや、特にこれといった用事は無いが……」
「そっか。じゃあ少し、話に付き合ってもらっていいかな」
「元よりそのつもりでここに居る」

 俺の言葉にフッと笑い、真っ直ぐに目を見てくる。
 俺もそれに習って目を見つめ、互いに小さく笑ってから───俺は寝台に、関羽さんは椅子に腰を下ろした。
 すると、早速と言っていいのか……関羽さんが切り出した。

「一刀殿。私は人としての一刀殿を、と言ったが───今さらですまないとは思うが、それは訊いていいことなのだろうか」
「えっと……問題はないはずだよ。それってつまり、俺が日本……天の国でどんな生活をしてたか、とかでいいんだよね?」
「う、うむ。よかったら……いや、このように訊く姿勢を取らせておいてよかったらもなにも無いな、すまない」

 自分の強引さに呆れるように、彼女は少し俯いた。
 そんな彼女に、それは大したことじゃないって教えるためにも、笑みを含んだ言葉で「大丈夫」と告げた。
 そう、大丈夫。大したことじゃない。

「天の国の俺かぁ…………うん。特別なことなんてなんにもない、普通の人だったよ」
「普通?」
「そう。争いがない場所で普通に産まれて、普通に遊んで普通に学んで。不自由なんて特に無いくせにあれが無いこれが無いって言っては、現状から抜け出す勇気もないのに……口では大きなことばっかり言ってるような、どこにでも居る普通の人間だった」

 そう、本当に……どうして自分がこの世界に飛ばされたのかも解らない、そんな存在。
 自分じゃなくてもよかったんじゃないか、自分じゃなくて別の誰かだったなら、もっと上手くやれたんじゃないか。
 そんなふうに思ってしまうことなんていくらでもあった。
 だってそうだろう?
 ただの学生だった自分の前で、戦を当然のように行う人が居て、死んでしまった人が居る。
 そうしなければ生きられない家庭があって、死んでほしくないと願いながらも、子が戦に出なければ得られない糧があって───そんな世界を、特別なことをしなくても糧を得られた自分が見ていたんだ。
 なんの冗談だ、なんてことは当然のように思う。
 当たり前のように戦があって、当たり前のように誰かが死んで。
 子が死んだ家に届けられるのは弔いであって、二度とは戻らぬ子の笑顔に咽び泣く親が居て。

「もちろん天にも戦はあった。けどそれは何十年も前に終わっていて、世界のどこかでは確かに未だに存在しているものだけど……少なくとも俺が住む場所では、そんなものはなかったんだ」
「その中に在って、一刀殿は普通の存在であった、と───?」
「うん。俺より頭のいいヤツなんていっぱい居て、俺より強いヤツなんて山ほど居た。俺はそんな中で友達と馬鹿みたいに笑いながら生活をしてきて……気づけばこの世界に居た」

 結局俺は、それがどういった原因で起こったことなのかを知らない。
 華琳が願ったにしたって、どうして俺でなければならなかったのか。何故他の人が選ばれなかったのか。その理由を、俺は全く知らないのだ。
 だって、違う世界の……そう、この世界がたとえ本当の歴史であってもそうでなかったとしても、華琳は遥か未来の俺のことなんて知っているはずがないのだ。俺じゃなければいけない理由には繋がらない。
 御遣いの存在を願ったところで、どうして俺が御遣いでなければならなかったのか、その理由には至らない。
 誰でも良くて、たまたま俺だったってだけなんだろうか───なんて考えて、もし及川が降りてたらどうなってたのかな~なんて、可笑しなことを考えた。
 無駄にって言ったら失礼かもしれないけど、成績はいいからなぁあいつ。案外俺よりも上手く……ああいや、三国志のことはあまり詳しくないんだっけ。
 だったら……歴史の通り秋蘭は討たれて、華琳は赤壁で負けて……───いや。今考えることじゃないよな、これは。

「……一刀殿の言う“普通”とは、この国で喩えるとどのような……?」

 思考に向けて苦笑をもらしていると、関羽さんが質問を投げてくる。
 どのような、か。

「庶人」
「……は?」
「庶人となんら変わらない。俺は普通の街、普通の家に産まれて、普通に生きてきた。親に養ってもらって、成長して。違うとこっていったら、さっきも言った通り三食が約束されてることや戦に出なくても糧を得られることくらい。むしろそんな辛さを知らない分、俺って存在は現状に甘えすぎてたくらいだ。この世界の民のほうがよっぽど逞しい……この世界から天に帰った時、心の底からそう思った」

 生きることに必死になる。
 それは、俺が知らなかった世界だ。
 地球のどこかの国で飢餓に見舞われている人が居ると聞いたところで見たところで、可哀想とは思っても何もしないのと同じ。
 いざ目の前にして、手を伸ばせば助けられる人が居るならばと懸命になりはしたけど、もし自分の手の届かない場所でそんなことが起きたら、その“現実”さえ気にせずに“贅沢”を尽くしていたのだろう。
 目の前で起こらなきゃ“現実”には至ってくれないものが沢山あることを、俺はこの世界で知った。
 人の死も、生きる喜びも、食べられる幸福も、食べられない辛さも。

「庶人と同じ……? で、では貴方はっ……戦を知らぬ世界から来たというのに、乱世に身を投じたと……!?
「……多分、それは違うんだよ関羽さん。俺は自分から投じたんじゃない、投じなきゃ生きられなかったんだ。兵にならなきゃ生きられなかった人たちと同じで、だけど戦場での立ち位置はまるで違った。俺は安全な場所で戦を眺めて、兵は“刹那”を生きるために必死で戦った。軍師に戦を望むべきじゃないとか言うかもしれないけど、俺は軍師としても役に立てたかなんて解らないんだ」
「一刀殿……」

 天の御遣い。
 その言葉が無ければ、俺はどこかでのたれ死んでいただろう。
 天の御遣いだから戦に身を投じることになったのに、天の御遣いじゃあなかったら生きていられなかった、なんて……本当におかしな話だ。

「いつも守ってもらって、いつも誰が死んでしまうのか不安で仕方なかった。どれだけ“強い”って解ってたって、誰もが死ぬときはあっさりと死んでしまう。……仲が良かった兵が居てさ、そいつとは随分と悪戯めいたことをやってたんだ。でも、ある戦のあと……そいつの姿は魏には無かった。ははっ……それがたまらなく辛くてさぁ……そうすると後方で何もしないで立っている自分が凄く情けなくて……」
「……それで、己を鍛えようと……?」
「理由の一つには……うん、なっていると思う。誰かが困ってる時に、何も出来ない自分が辛いからって鍛え始めたんだけど…………ははっ、おかしいんだよ、それが。自分から鍛え始めておいて、それがいつからか自分の中で違う方向に向かい始めてる。守るために、出来ることを増やすためにって始めたのに、強くなるのは自分の気ばっかりで……」

 話ではなく力で解決しようとする。
 それは以前の俺からでは考えられなかったことだ。
 いくら魏のためだとか貞操がどうとか言っても、力任せに逃れるなんてこと、今までの自分はしなかった。
 そんな些細なことから、自分の力への疑問は始まった。

  “力を振るい続ける者はやがては修羅にもなろう。そんな者が修羅にならずに済むにはどうしたらいい?”

 じいちゃんに、ちゃんと言われていたことだったのに。
 それに気づけずに、いつの間にか修羅に向かうところだったかもしれないんだ。

「顔合わせの時、魏延さんに信頼のことを言われて頭の中が冷たいくらいに冷えた。俺のことを八方美人だとか、出る言葉が口八丁とか、俺に向けられることはどうでもいい。でも、そんな俺を信頼してくれた人たちが馬鹿にされてるみたいで嫌だった。……その時さ、俺───どうしようとしたと思う? 話で解決がどうとかじゃない、“何をするか解らなかった”んだ」
「それは……大切な者を馬鹿にされて、黙っていられるほうがどうかしているだろう」
「うん、そうかもしれない。でも、以前の俺ならきっと、そんなことは思わなかった。そうなるとさ、力を得るってことは、やさしいままじゃあいられなくなるのと同じなのかなって。そう思ったら、途端に……はは、情けないけどさ、自分の力が怖くなった」
「力を振るうことが……? ───なるほど、それが理由か。手合わせをしたがくすぐられたと鈴々が言っていた」
「…………ん。最初はさ、木刀を振るうつもりだったんだ。武器を振るう相手に勝つのなら、失礼のないように武器で、って。そしたら振るえなくてさ……。咄嗟に後ろから押し倒して無力化を狙ったけど、鈴々の力だと簡単に返されるって解ってたから」

 だからくすぐった。
 そう判断するのに多少の時間があって、鈴々がそれで治まってくれたことにどれだけ安堵したか。
 もしかすると鈴々も、そういったものを感じ取ったから反撃しないでいてくれたのかと……今なら思う。

「“力を得ようとする者は、必ず力に溺れる時が来る。それを乗り越えられん者に力を振るう資格はない”。俺の師匠の言葉だけどさ、結構ぐさりと来たよ。自分が力に溺れてるなんて気づきもしなかったんだから、痛みも相当だった」

 そういった意味では魏延さんには感謝している。
 べつに持ち上げられたことに感謝したいわけじゃないけど。

「関羽さんは自分の力に疑問を抱いたこと、ある?」

 けど……俺はその溺れる自分から逃げたかったのか、そんな自分を克服したかったのか。
 気づけば自分の口からは勝手に言葉が紡がれていて、目を閉じ俺の話を聞いてくれていた彼女に質問を投げていた。
 関羽さんは……すぅ……と息を吸うとともに目を開き、俺の目を真っ直ぐに見て……「ある」、と言った。

「一刀殿。私の志は、桃香さまに“頂いた”ものなのだ」
「頂いた……? え? じゃあ今まで───」
「そう。私は桃香さまに頂いた志を以って、乱世を駆けていた。桃香様に会う前までの私は、世を憂い憤りのままに力を振るう粗暴な存在。その力を正しく振るう場も理解出来ず、村を巡り、盗賊達を討つだけで満足するような……そう。たったそれだけで、乱世を救う英雄にでもなったつもりでいた」

 かつての自分を思い出しているのか、関羽さんは視線を俯かせ、自分を恥じ入るように溜め息を吐いた。

「なんと矮小であることか。思い返せば顔が熱くなり、己が恥ずかしくなる」
「でも、それは間違いなんかじゃないだろ? その力で、確かに関羽さんは人を救っていた。そこに笑顔はきっとあって、助かった人だってきちんと居たはずだ」
「一刀殿…………いや。そうなのかもしれないが、もっと早くに気づいていればとも思ったのだ。己より弱き者に対してのみ力を振るい、遥かに強大な敵と戦うことなど考えもしなかった。“なぜ盗賊などが存在しなければいけないのか”。そこに目を向けることなど、しようともしなかったのだから」
「あ───……」

 ……そっか、同じなんだ。
 なまじ力があったために、何かが起きれば力で解決する。
 盗賊は悪でしかないと決めつけて、何故“盗賊をしなければいけなかったのか”など考えもしない。
 けれど盗賊を滅ぼせば村は救われ感謝もされ……誰かの笑顔が自分に出来ることを教えてくれたつもりになっても、それは叩き潰すことでしか得られない答えで。

「桃香さまは、そんな私の武に理由をくださった。武も才もないあの方が剣を握り、背に無力の民を庇い……百にも近い盗賊の前に立ちはだかる姿を、最初こそ理解が出来なかった。しかし理解できた時には───それがやさしさでありあの方の強さであると知った時には、ああ……私の武とはなんと曖昧なものなのだろうかと。理由を持たず振るわれる力の、なんと矮小なことかと」
「関羽さん……」
「恐らく、ともに居た鈴々も同じ気持ちだったか……いや。純粋にあの方のやさしさに惹かれたのだろう。以来お姉ちゃんなどと言って、あとをついて回っていた」

 空を仰ぐように天井を見上げる彼女は、どこか懐かしさにひたるような穏やかな顔をしていた。
 そんな顔がふと俺に向けられて、彼女は言葉を続ける。

「盗賊達を追い払った後、そんな桃香さまが私達になんと言ったか、想像が出来るかな?

 それは簡単な疑問。
 俺はその時の桃香の立場になってみて、その時の関羽さんを視界に納めるようにして……思考、イメージする。
 すると……

「……そんなに強い二人には、もっとたくさんの人を救うことが出来ると思うよ」

 するりと口からこぼれる言葉。
 それを聞いた関羽さんは、「ああ、やはり……」と小さくこぼし、穏やかに笑っていた。

「出会う頃、出会う形が違っていたなら、私は貴方の槍になっていたのかもしれない」
「え?」
「ふふっ……桃香さまに同じようなことを言われた。現状で満足し、限界を勝手に作っていた私には……その言があまりに眩しすぎた。かと思えば力が抜けたのか、腰を抜かして立てなくなる桃香さまを見て……眉間に皺を寄せてばかりだった私は、久方ぶりに大笑いをした」

 桃香サン……あんたって人は……。
 あれだろうか、ここぞという時に格好のつかない人なんだろうか───……あれ? それって俺もだろうか。

「いい具合に力を抜いてもらったと、今でも思う。それは己の武に、脆弱たる盗賊の群れに対して天狗になっていた私にとって、目が覚めるような脱力だった」
「……そっか。関羽さんにとって、桃香が寄りかかれる場所なのか。桃香にとっての寄りかかれる場所が関羽さんや鈴々であるみたいに」
「───そう、だな。だとするならば、私はそれを誇りに思う。と言っても桃香さまのことだ、蜀の将や兵や民を拠り所にしているのだろうが」
「理想的だね、それは。将も兵も民も、みんながみんなを好きでなきゃ出来ないことだ」

 眩しいなぁ……と一言口にして、装飾のついた窓から見える景色を見た。
 ……見えるのは青空だけ。そんな空を、いつか学校の教室から空を仰いだ時のような気分で眺めていた。

「…………?」

 と、ふと会話が途切れていることが気になって視線を戻すと、関羽さんがぽかんとした表情で俺を見ていた。
 ……? なにかヘンなことを言っただろうか。
 もしかして、呉でやっていたみたいに思考が口から漏れてた!?

(それは危険だどうしよう! というか俺は何を考えてたっけ!?)

 軽くパニックになりつつ、しかし表情は出来るだけ平静に努めていると、ぽかんとした関羽さんが一度笑みをこぼした。

「な、なるほどっ……自分でしていることにまるで無自覚とくるっ……ふふっ、貴方は本当に桃香さまによく似ている」
「……《とすっ》」

 あれ? なに今の小さいけど確かな痛み。
 なんだか「貴方は天然ですよ」って言われたような……あ、あれぇ? 一国の王に似ているって、誇っていいこと……だよね?

「……一刀殿。そんな貴方に訊きたいことがある。御遣いとしてでなく、北郷一刀としての貴方の拠り所は何処に存在する?」
「俺の? それは」

 それは魏……と答えようとして、声が続かないことに気づく。
 どうしてだろうと考えてみて、俺の頭が思い浮かべたのはどうしてか張勲と袁術。
 気づけと言い放ち続ける心がそんな考えを生み出し、気づくなと戒めようとする心がそんな考えを殺そうとする。
 拠り所の話のはずだろ? どうして気づく気づかないの話になるんだ? だってあれは“桃香の言葉”を聞いてから現われ始めた痛みで……。

(……繋がってるのか? 繋がりがあるのか? 気づけないなにかと、拠り所の話は)

 ……解らない。
 心が苦しかろうが、求められているなら気づかなきゃいけない。気づくべきだって思っているのに、俺はそれを否定したがっている。
 自分の心が解らない。
 俺はいったい何を……? 何に気づけてない……? 俺の拠り所は魏で、華琳の傍のはずだろ?
 だから俺は帰ってこれて、だから…………だ、から───

「…………俺」

 たとえば……ある普通の日常の中、誰かに「貴方の心の拠り所はなんですか」と訊かれるとする。
 思い浮かぶのはなんだろうか。趣味? 好きな人? 頼れる誰か? それとも……“家族”? 
 俺は“国”と答えようとした。だって“魏だ”と答えようとしたのだから、それは国だ。
 国を守り、国に頼り、国とともに生きていきたい。傍に居てくれる誰かと、傍に居たい誰かとともに。
 いつしか家族同然となったみんなとともに、生きた歴史を振り返ってみたい。

  でも……じゃあ、日本に置いてきた俺の家族は?

 この世界に|来る《帰る》ことばかり考えて、どうせ時間は止まったままなのだからと安心して、夢中になって……。
 もし俺がこの世界で死んでしまったとして、家族はどうなる?
 たとえば、たとえばだ。
 俺が日本に戻った時、ただ単にこの世界に飛ばされる前の時間に俺が帰っただけであって、実際は時間が進んだ時間軸があるとして……その時間軸での母さんは? 父さんは、急に居なくなった俺をどう思う?
 気を使って遊びに連れ出そうとしてくれた及川は? 曾孫でも見せてみろって笑ってくれてたじいちゃんは?

「………」

 なんだ、これ。
 誰かを守るためにとか言いながら、一番一緒に居てくれた人を守れてない。
 育ててくれた人や、お世話になった人……導いてくれた人から、悪友まで……なにも、全然。

「ああ……だから、か……」

 魏を拠り所に、なんて言えるわけがない。

  あ~あ……気づいちまった……

 心の何処かで、他人事みたいに言う自分が居た。
 それはそうだ……気づかずに笑ってるべきだった。
 だってそうだろ? 家族よりこっちを選んで、この世界で笑って。
 もしかしたら自分の世界の先では周りを泣かせているかもしれないのに、自分だけ幸せに浸って。
 魏が拠り所だって? はは……北郷一刀、それは拠り所っていうんじゃない……捨てられるのを怖がって必死でしがみついている……依存、って……言うんだよ……。
 強くなって守るから、どうか自分をここに置いてくださいって。そう言っているようなもんじゃないか。
 気づかなければよかった、こんな弱さ。
 俺はいったい、今までなにを……。

(そんな言葉じゃあ、誰も諦めない……そうだよな、その通りだ)

 だってそれは、俺の言葉じゃない。
 魏や華琳のためと口にしてるだけで、俺の言葉では一切断っていないのだ。
 なぁ一刀……それも魏に捨てられないためか? 無意識下で、そうなることを恐れていたから断ってたんじゃないのか?

「一刀殿?」

 ぶつぶつと小さく呟いている俺を怪訝に思ってか、気遣うような声が耳に届く。
 ……本当に、嫌なタイミングで気づくもんだ。
 もっと早く気づいていたなら……そう、せめて呉に居る最中に気づいてあげられたなら、ちゃんと自分の言葉で言ってあげられたはずなのに。

「───あれ?」

 言う? 言うって……なんて?
 俺は貴女達の想いを受け取れないって……そう言うのか? 魏が、華琳が好きだから───いや待て、それじゃあさっきまでの自分となにも変わらない。
 誰かと比べるんじゃない、俺が俺として、彼女達一人一人をどう思っているかだろ? 魏でもそうして、彼女達の想いを受け止めてきたんじゃないか。
 俺自身は、雪蓮や呉のみんなをどう思ってる?
 迎えてあげられないくらい嫌いか? それとも、好きだけどそれはやっぱり友愛でしかないのか。

「───」

 そこまで考えてみて、自分に呆れた。
 俺は迎えるだけで、自分から好きと言ったことがなかったのだ。
 訊ねられれば好きだと言えて、愛していると言えて。
 自分から誰かに好きだと言ったことなど───……

(霞にタラシだって思われてたのも仕方ないのかもな……はは、本当に……まいった)

 雰囲気に流されやすいんだろうか……いや、じゃあこんな自分をどう説明すればいいのか。
 自分の気持ちに気づいたから、誰でもなんでも受け容れるって?
 ああそうだ、嫌いなわけがない。発展してゆく世界で精一杯に生きて、真っ直ぐに自分に好意をぶつけてきてくれる人たちだ、嫌いになれる理由がない。
 それを自分は魏が華琳がと言い訳して、断ってきた。
 でもそれは確かな理由であって……なのに自分の言葉ではなくて。

「俺の……拠り所は……」
「? あ、ああ……拠り所は?」

 間が開き過ぎたからだろう。
 突然拠り所の話をする俺に、関羽さんは戸惑いながら意識を向けた。
 俺の拠り所か……それは何処だろう。
 かつての生活を捨ててまでこの世界に来て、俺が頼った場所……いや。
 頼るだけなら依存と変わらない。
 自分が志を持ったまま、華琳にもこの大地にも誇れる自分であれる場所。
 そう、助け合い、思い描く未来に笑顔を見せられる場所は。

  ……なぁ、北郷一刀。一度誇りも、好きも嫌いも捨ててみろ。

 頭の中でそんな場所を描こうとしたら、ふと誰かの声が聞こえた気がした。
 それは自分がよく知る声で、俺が声帯を震わせたなら、きっと聞こえる声。

  愛だの恋だのじゃなくて、自分がそうでありたい形を描いてみろ。

 考えて考えて、自分の弱さに呆れていた自分に暖かさをくれる声。
 自分の声だっていうのにヤケに凜としていて、胸の内に響いてくる。

  気づいてしまったなら仕方ないだろ。
  ちゃんと考えて、ちゃんと答えを出さなきゃな。
  ……誰かのためなのは解るけどさ。
  気づくのが早いのもどうかと思うぞ、俺は。

 呆れるように言う。
 叱りつけるようにも聞こえるそれは、まるで───

  なぁ一刀。華琳は、魏のみんなは───ただやさしいだけの女ったらしを仲間として受け容れるか?

 それは違う。
 種馬だとか女たらしとか言われてたけど、やさしさだけで言うなら……きっと桃香のほうが上で、受け容れられるべきだった。
 理想が高くて理屈に沿ってなかったかもしれないけど、出会う形が違ったなら……やさしいだけでよかったなら、俺じゃなくてもよかった。

  だったらそれでいい。
  軍師としても武人としても役に立たなかったなんてお前は言うが、だったらそれ以外でお前はきちんと助け合うことが出来てたんだ。
  一途な……って言ったら語弊が出るか? ははっ。
  ともかく、一途なのは勝手だけど、みんなのお前への想いを軽く見るな。

 俺への想い? みんなの?
 でもそれは───

  “お前らしく受け止めればいい”。
  後のことなんか気にしないで、想いを受け止めてやればいいさ。
  それが“北郷一刀”だ。
  これで呉や蜀の娘の想い、民や兵の想いを断り続けたら、それこそそんなものは要らないって……潰されるぞ?

「どこを!?」
「うわぁっ!? な、なにを急に大声でっ……!?」
「へ? あ、いやっ、ごごごめんっ!」

 突然出した大声に、聞く姿勢で待っていた関羽さんは滅法驚いたようだった……すこぶる申し訳ない。
 うん、でもいい具合に心が落ち着いた。
 うじうじと考えるだけだった自分の心が、少しだけ軽くなった。

  ここまで言えばいくら人の心に疎いお前……いや。俺でも解るだろ?
  少しは学習しろ、まったく。
  曹孟徳はそんな不出来なヤツをいつまでも傍に置くほど、寛大じゃないぞ?

 う……それは、まあ。
 好きだからって気持ちを盾に、傍に居続けることを許すような存在じゃないかもしれない。
 ……素直じゃないとは思うけど、その場合は鬼になって突き離してでも成長を望むと思う。

  だったらこの呉や蜀を回ってる今が、その突き離されてる瞬間だって思っとけ。
  ……まったく、自分の心まで他人のため他人のためって。
  いつか後悔するぞ? せっかくまだ気づくなって言ってやってたのに。
  気づいちまったら、これからが大変だ。

 ……自覚してるよ。本当に、大変だ。
 もう魏や華琳を言い訳には使えないし、求められたらきっと───

  間違ってたら大人しく華琳や魏のみんなに叱られろ。
  最悪いろんな首が飛ぶかもしれないけど、それはお前の自業自得だ。

 飛ぶ首って一つしかないよね!? 頭以外どこが飛ぶの!?

  いーからいーから……じゃ、お節介はここまでだ。
  お前はお前らしくいろ。
  お前らしく、自分のことより他人のために走っていればいい。
  それがお前で、それが北郷一刀だ。
  それに…………ああいや、これは俺が言っても仕方ないな。

 ……“俺”の声が消えてゆく。
 それは俺の中へとしぼんでいくように、小さくなるように、納まるように。
 言いたいことは言った、伝えたいことは伝えたというかのように、綺麗に。

  ああそれと。どれだけ綺麗に纏めて見せても、華琳は絶対に仕置きを用意してるだろうから。
  そこのところは彼女の可愛い焼きもちだと思って、しっかり受け止めてやれ。

(エェッ!? いやちょっ……それは困っ……!)

 ……などと戸惑っているうちに、それは完全に“元の形”に戻ってしまった。
 流れる氣を追うように辿ってみれば、それは深い深い深淵に置かれた…………小さな“絵本”だった。

(…………)

 何処で何がきっかけになって、何に気づけるのか。
 そんなものは解らないものなんだろう。
 たまたまやってきたことがプラスに働いてくれただけにすぎないし、これからもそうとは限らない。
 けれど“気づけた自分”はここに居て、“気づいてしまった自分”もここに居る。
 さて……俺はまず何をするべきなのか───と考えて、とりあえずは気づかせてくれた冥琳との絆や、治療を手伝ってくれた華佗に感謝を。

「…………うん」

 答えは胸の中に。
 言い訳がましく言うんじゃない、もっと前向きな気持ちで、はっきりと。

「ね、関羽さん。また話を変えて悪いんだけど……関羽さんは自分の力に疑問を抱いたことがあるって言ったよね?」
「うん? ああ。私の志は桃香さまに頂いたものだと言ったな」
「その志は、たとえ貰いものでも……今では自分の志として誇れるもの、だよね?」
「無論だ。貰いものだと、自分のものではないとどれだけ言われようとも、私はその志が眩しかったから桃香さまの槍となった。そこには迷う理由も足踏みする理由もない。ただ信じ、桃香さまの願う全てを叶えるための槍になりたい。私はそう思った」
「そっか。……うん、そうだよな」

 さあ、北郷一刀。お前の答えはなんだ?
 来るもの拒まず受け容れるのか? それとも自分の言葉で好意を断り、あくまで友として生きるのか。

(答えなら、もう出てる……んだけど、ちょっと卑怯というか男としてそれはどうかというか、なんていうかそれって今さらなんじゃないかって思って自己嫌悪というか……はぁ)

 まいった。本当にまいった。
 気づいたからには受け容れなきゃいけないことがあって、それはお世辞にも褒められる行動じゃないというか。
 客観的に考えたら、相当に痛い男になってしまう。
 まず考えてみよう。
 俺は華琳のもの……これが前提。
 けど華琳は俺を“大陸の父”……つまり三国の支柱にすることに“一応”の頷きを見せたというし、そこにどんな考えがあるにせよ“頷いた事実”は覆らない。
 絵本の俺が言った通りだ。そこは俺が行動で示して、結果として華琳になんと言われようと受け容れなくちゃいけない。
 で、もう一つ……これが自分の中の“男”の部分を疑いたくなりそうな考えなんだが、華琳が良しと言う限りは俺は三国のものであり、彼女が他国の将に“手を出してもいい”というのなら、受け容れてもいいわけで……ええと。
 つまり俺は華琳のものであって、魏の将のものではない。
 たとえどれだけ凪や霞たちがそれはだめだと言おうと、華琳が許すならば良し、ということになってしまうわけで。
 いや待て、それどころか雪蓮が魏に乗り込んだ時点で、魏のみんなへの説得はあらかた済んでいると考えるべきであって……えーと……案外俺、みんなの目からしてみれば「まーた一刀の女癖が始まったー」くらいにしか思われてないかも…………。

「……《じわり》はうっ!?」
「一刀殿?」
「い、いやなんでもないっ! 泣いてない、泣いてないよ!?」

 もっと自分ってものを考えてみよう。
 鍛錬を始める前の、もっといろいろな部分が弱く、弱いなりに出来ることがあっただろう自分を。
 なまじ出来ることが増えてくると、見失ってしまう部分もある。
 だから…………だから……───

「───……」

 思考のリセットはさせないままに、もう一度窓から見える青を眺めた。
 先ほど見た時は、教室から仰いだ朱を思い出したのに……今は、ただただ青い空だけが視界の先に広がっていた。
 すると……するん、と……がんじがらめだった思考がほどけた気がした。

「……そうだよな。現状維持じゃない。もっと、行けるところまで高みへ───」

 手を伸ばす場所は魏だけでいいか? ───違う。
 笑顔を育む場所は魏だけでいいか? ───違う。
 一刀。お前が守りたいと思う場所は、未だ魏のみか? ……違う。
 だったら答えを確かめる必要なんてない。
 届く場所、届く人へ、限界にぶち当たるまで伸ばし切ってみろ。
 たとえ伸ばしすぎて微笑ますことが出来なかった人が居たとしても、次こそはって諦めずに精一杯足掻いてみろ。
 守るためにつけた力が人を傷つけることになるなら、そんなことをする余裕がないくらいに守るものを増やしていけ。
 そして───守れたと、自身を褒めることが出来た時こそ……その時自分の周りに居る人たちと、思いっきり笑い合ってみろ。
 それが、いつか“俺が求めた強さ”へと繋がるはずだ。
 そういった覚悟を胸に、俺は華琳の傍に居続ければいい。
 現状では満足せず、進めるのなら進み、繋げる手があるのなら繋いで。
 …………で、こういうのは自覚してしまうとただの女ったらしにしかならないわけで───あー本当だ、気づかなければよかった。

「関羽さん、拠り所、見つかった」
「……聞かせてもらって、構わないかな?」
「ん、是非。俺の拠り所は……」

 魏だけじゃないのなら、呉でも蜀でもない。
 それは人ではなく、もっと大きな場所……そう、それは───




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ネタ曝し

 *ハンカチーフ
 昔、ハンカチを持ち歩くのは日本人くらいで、
 ハンカチ自体はどこぞの外国では別れの時に渡すものだーとか聞いた気がする。
 そんなところから、別れの際にはハンカチをひらひらさせるって表現が出たんじゃないかなぁとか思っている。
 ちなみに凍傷オリジナル小説ではハンカチーフではなくハンケチーフと書かれているが、決して誤字ではない。

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